人魚がいた。人魚だ。文字通り人の首に魚の胴体の奴だ。
 見た目は私と同い年くらいだろうか。このゴミだらけの浜で魚の死骸よろしくゴミまみれになって打ち上げられていた。この1日の内に打ち上げられたのだろう。黒くて長い髪が顔や体に砂と共にピッタリと張り付いていて、いつか校庭でくらったゲリラ豪雨の後を思い起こさせた。でも黒くて長い髪と、下半身に均等に敷き詰まった深い青色の魚の鱗が時折薄いピンクや緑色を反射させていてとてもきれいだった。
 最初は大きいゴミの下敷きになっていて、だから出来の良い人魚のマネキンかと思っていたけど、もっと近くで見てみたいと思って近づいてみた。
 動いていた。正確にはほんの少しだけだけど確実に息をしていた。その体はゆっくりだけど、しかしゴミと砂の中で確実に上下していた。
 今から殺す。

 修学旅行で海に行けると知った際、とても嬉しかったのだけれど、そうだけれども、行のバスで佐藤のグループが五月蠅過ぎたのと、通路側の隣にアレだからといちいち理由をでっち上げられて物を取られたりいびられたりしている不細工で女の子なのに若干臭い山田が本来は隣じゃなかったのに佐藤に何か言われたのか知らないが私の隣に来たりして、しかも新品と古すぎるものという違いこそあれリュックサックが同じモノで何の目印も付けていないのも同じだった。間違って山田のを開けてしまったり、山田のと間違えられて物を盗られるかもしれない。結果バス車内は(詳しく言いたくないので表現しないが)地獄絵図とか幼稚園バス以下のさながらの光景となって大分不快であった。
 途中高速のサービスエリアでトイレに行く暇があったのだが、先にトイレに向かっていた佐藤のグループの一人が「浅倉さんカワイソっ」などと言ってきて更に不快になり、後ろを確かめたら山田が申し訳なさげにうつ向きながら歩いていた。
自分が不細工に生まれたことを罪であり罰であると考えているようであった。
こいつはいつもこうだ。自分が何かしでかしたわけでもないのに加害者ヅラ、いや私が悪いんですヅラしていやがる。佐藤もそうだがお前は自分がこの国で如何に矮小な人間かまるで理解していないし、自分がいるせいで回りが不幸になるとかそういう考えが透けて見える。要するにこいつは自分がいるだけで世間に大きな影響を与えてしまう(ことができる)とすっかり思い込んでいるのだ。お前の知ってる世間というか佐藤と接点のある場面なんて学校くらいだろ。サバンナでも同じことが言えるのか?いつからそうなのかは知らないが私は山田のそういう所が嫌いだ。私の目の前で山田が佐藤に何か言われていても助けない理由がそれだった。
後ろから来る佐藤のグループが続々と追いついてくる前にトイレに行くべきだろう。もちろん山田にも追いつかれたくないので私はいそいでトイレに向かった。
要を足した後、手洗いでくさいんじゃないかと気になってバスに入るのが佐藤らより遅くなった。私が一番遅かったらしく席に帰るとバスがすぐさま出発した。担任がこれからの工程を確認するとの旨でしおりの何ページを開けと言っていたのでリュックの中を開けてみると、かなり恐れていた事態が現実になったことが分かった。
無いのである。しおりが。
まず座席の下の前後左右を確認してみたが、見つからない。ちゃんとリュックの前ポケットに入れてチャックも占めていたのに。いや思い違いかもしれない最初からわすれてきていたとか、いやそれは無い。だってバスに入った際に一度しおりを確認した。そして元のポケットに戻した。記憶ちがいかもしれない。だって自分は物を盗られるようなことは何もしていないし、休み時間には大抵友達のいるクラスに行っていたから、同じクラスの生徒からは因縁のつけようがない筈だ。
いっしゅん山田のものと間違えたのでは?と思ったが、しおりの名前欄に名前をちゃんと「浅倉」と書いておいた記憶がある。こればかりは間違いようがない。
結論からして、盗難に遭ったのだ。私が。
そして犯人は十中八九、佐藤だろう。実行犯は他にいるかもしれないが、思いつく人間なら彼女しかいない。
思わず背もたれから身を乗り出して後ろの佐藤の席を顧みる。
佐藤らは相変わらず騒いでいたが、私がこちらを見ていることに気付いたとたん、連中はニタニタと笑いながらこちらを見てきたのである……。
なんだが恐ろしいような、いわゆるはずかしめを受けたような気がして、すぐに座りなおした。ああも人を弄んで面白がる人間が、そのためには犯罪だって平気でやるような生き物が、存在するのだ。それも海の向こうの遠い国ではなく、義務教育の小学校の、同じクラスの中にだ。
だが何故だ?こればかりは本当にそうだ。私は佐藤に何かされる謂れはないし、なにせ個人的なおしゃべりなんて殆どしたことが無いのだ。接点が無い。であるならば、理由は外部にあると考えることしかできない。
これはテレビのドキュメンタリーや本で読んだことなのだが、狭い共同体での孤立といじめには密接な関係があるという。私は学年で見れば孤立しているわけではないが、クラスでは孤立していると言っても過言ではない。自分のことをそう言える程度には自分の交友関係の希薄さは理解していたつもりだった。私は多分、山田と隣になったから、という単なる流れで佐藤らのターゲットにされたのだ。
クラスが離れてもいつも一緒と思っていた友達と友達でい続けることにこだわり、今の友達作りを怠っていた報いがコレか?山田も佐藤も嫌い、かといってほかのクラスメイトに関心を持たなかった結果がコレか?
因果応報か?バチが当たったのか?佐藤が私に罰を下したのか?
違うだろう。
佐藤にそんな権利はないし、例え私が佐藤の気分を害して彼女が私に何かする権利があったとしても、他人の物を盗む権利は無いだろう。無論誰に対してもそう言えるのだろうが。
だがここまで考え詰めたところで、証拠はない。そう、無いのである。作るわけにもいかないし、困った。今すぐ佐藤らのもとに行って問いただしても良いのだが、今は担任が到着後のレクリエーションのことを話している最中であるので、恐らくクラス全員からヒンシュクを買うだろう。だがそれは担任の話が終わっても同じことが言える。きっと実行すれば私はもっと孤立して、佐藤を増長させる手助けになってしまうのだ。
ひたすらに運が無い。
もう一度座席の下や前後左右やスキマを確認してみたが、やはりしおりはどこにも無かった。
佐藤さえいなければそれなりに良き小学校の思い出になったであろう修学旅行は初日からもう駄目そうであった。まだ12年しか生きていないのに、こんな悲惨なことが早くに起こることは間違ってるだろ!!!!!!!!
しおりを紛失したことを担任に伝え、しおりは山田に見せてもらった。山田は少し臭かった。彼女は今回で風呂の入り方を矯正してもらった方が良いのではないかと思う。
正午過ぎに目的地に着き、その頃には晴れていた空はもうだいぶ曇っていた。荷物を部屋に置いた後はおなじみのレクリエーションになるのだが、ここから佐藤ら以外、つまり男子たちが全体的に五月蠅くなってくる。別にバス内で鳴りをひそめていたかと言うと決してそうではないのだが、多分動けるので騒いでいるのだと思う。
 はい皆さんが静かになるのに5分かかりましたー。
 担任の岩田が間延びしたおなじみのセリフを吐く。思うのだが、集団がなかなか静かにならない理由として、担任自身が舐められているほかに、自分たちの会話は聞こえないだろうという過小評価というか自身の声量をコントロールすることに対する過大評価もあるのではないかと思う。全員よくないと思うぞ。私は友達が別々のクラスになってしまったから話す相手もいないし居たところでこういう場で話したりはしないが。
 小学校に入って6年たってようやく判ったのだが、どうも私は集団行動というものが苦手らしい。我慢が出来ないわけではないのだが、グループ行動となるとどうも影が薄くなる上、何をすれば良いか分からなくなってしまい、何もやることが無くだまって椅子に座っているか、出なければやりたくないような事をやらされたりするかだった。
 だからレクリエーションの一つ、「浜辺で拾ったものから環境問題を考えよう」のものを拾う手段である「浜での自由行動」が何よりの楽しみであった。
 人魚を見つけたのは、担任がよそ見をしている隙をつき、集団のいる特にこれと言った特徴のない浜から離れてゴミまみれの掃きだめのような浜に行った時のことだった。

 今から殺す。
 人魚が生きているのを確信した途端、ふと心の中から湧いてきた決意。
 私や家族や友達がコイツに何かされたわけでもない。でもそうしなければいけない。蚊が腕にとまっているのを見た瞬間、痛みを無視して蚊を全力で叩き潰すように、今の私には当たり前のことだった。
 幸い周りには捨てればゴミだが使い方を変えれば武器にできそうなものは沢山ありそうだった。社会の授業のたまものである。山野辺先生ありがとうね。
 しかしここでいくらか問題があることに気が付いた。私の体格じゃこの大きさの生き物を一人では殺しきれないだろうし、教師はそろそろ私の姿が見えないことを不審がるだろうという点である。一旦元居た浜辺に戻るべきだろう。
 おそるおそる浜辺に戻ったが、誰も私がいなくなっていたことに気付いている者はいなかった。幸いだがそれはそれで悲しかった。
 作戦はある。
「先生、さっき向こうの浜で大きめの面白そうなものがあったので佐藤さんと取りに行ってきます」
 佐藤なら問題ないだろう。アイツにはトイレ帰りの件があるし、山田の件もあるからコレをネタにすれば佐藤の口から情報が洩れることもないし、最悪洩らされたとして人魚の存在など誰も信じないだろう。
「大きめの面白そうなのって、何?」
 担任はめんどくさそうに返してきた。
「名前が分からないから佐藤さんと一緒に取りに行って先生に見てもらおうと思います」
ああそう、気を付けてね。
 そう言った担任が疲れているのは火を見るよりも明らかだった。先生、今私は初めて貴方を尊敬しています。
 さて、遠くの浜に見えている佐藤を連れてくるにはどうすれば良いか。こういう場合、自分由来ではなく、外付けの説得力が大事なのだ。
 バスの件もあり、佐藤らの群れに近づくのは抵抗があったが、私は自分にこう言い聞かせた。担任に頼まれたのだと。幸い、佐藤の集まりはいつもの6、7人ではなく本人含めて3人となっていた。
「佐藤さーーーーーーーーん」
 すかさず駆け出す。こういう時状況証拠が残ることを恐れてはいけない。作戦はいつでも練ることが出来るが好機だけはどうにもならない。次があるという保証はどこにもないのだ。今がチャンス!
 佐藤は私の呼び声で振り向いた。もちろん驚いていた。佐藤の元にたどり着いたときに私はもう佐藤の手を握って人魚のいる方向に走りだしていた。
「まってなんでねえ!?」
佐藤は私の手を振り払おうとするがそうはさせない。全速力で走っている人間の手を振り払えばケガをすることは考えなくてもわかるはずだ。
「向こうのゴミばっかの浜に面白いのあるから佐藤さんと一緒に取りに行きなって岩田と山野辺先生が言っててね……」
適当に理由をでっち上げる。なんだか今日はやけに頭が回るような気がする。佐藤は何かわめいているが大丈夫だろう。何がと言われると困るのだが。
走ったからか、くだんの浜にはすぐに着いた。ここからならだれにもバレずに実行できる。
「あのさ、私帰りたいんだけど」
佐藤がぼやく。それはそうだろう。いきなりこんなゴミと流木まみれの汚い浜に連れてこられてうれしい人間はいないはずだ。ゴミをかき分け奥まで行く。おお、まだいた。まだ生きてる。2メートル先の大型のゴミに挟まっている。
「これ見て」
 佐藤は最初は?と言ったが私が指さした方向を見た途端、息をのんだ。
「今からね、あの人魚の上にあるゴミをどかしたいんだ」
手伝ってくれないかな。佐藤は二つ返事で協力してくれた。彼女は私がなにも言わなくても、土地勘も経験もないゴミ浜の中を人魚の元へ懸命に進んでいく。人が頑張って何かをしている風景はいつも素晴らしいと思う。
私は彼女の後を追うように進む。佐藤は最適なルートを選んで進んでいた。頭がいいんだと思う。追いついたときにはもう彼女は人魚の上の大きいゴミをどかそうと必死に名ていた。当然私も一緒になってゴミをどかそうと協力する。私が頼んだのに、なんだかこちらが彼女を手伝っているような構図になっていることに気付いて、なんだかおかしかった。
ああでもないこうでもないを4、5分繰り返した後、良い感じに動かせる箇所を発見し、せーのの掛け声でようやく人魚の上の大型ゴミを取り除くことが出来た。
これだけでもう達成感で気持ちよくなりそうだが、本題はこれからなのだ。
佐藤はどうかと言うと、人魚に見惚れていた。お前にも美しいものを美しいと思う心があるんだな。
「それ生きてるよ」
と教えてみる。理由はない。なんとなくだ。
すると佐藤は明らかに動揺し、そして人魚の身体をますます覗き込んだ。人魚は未だに浅い呼吸を繰り返し、その命脈を保っていた。
「そんな……なら、助けなきゃ」
 思わず吹き出しそうになるのをこらえる。いつも五月蠅いし人の物は盗むし集団で人を責めるようなお前の口からそんな美しいセリフが出てくるんだからな。口の内側の肉を噛み締める。
「佐藤さん、私は人魚を助けるために佐藤さんを呼んだんじゃないんだよ」
「え」
 佐藤の人生で過去最大の疑問符が浮かび上がった瞬間だろう。もちろん、此処にいるのが山田でもそうなる筈だ。でも私が山田を呼んだのならここで元の浜に返すことにするだろう。
「で、でも、浅倉さんは何でこれを見せてくれたの?」
「見せたくて見せたわけじゃないよ?」
 勘違いしないで欲しい。でもまあ勘違いしても仕方がないだろう。人魚は美しいのだから。佐藤の私を見る目が今までにないものになる。彼女の今までの人生の中で、私のようなものはいなかったに違いない。風と波が強くなってきた。
「浅倉さんさ、なにしたいの?」
「今から殺す」

 私は足元にあった人の頭より一回り小さい岩を手に取り人魚の顔に叩きつけた。佐藤が悲鳴を上げた。人魚の鼻が潰れ、眉間擦れ血が滲んだ。岩が人魚の顔の横にごろんと転がる。あまりダメージにはならないんだな。
「やめて!何する気なの!?」
佐藤が人魚を守るように覆いかぶさる。佐藤、お前そんなことも言えたのか。
「それ多分山田もおんなじこと思ってるよ」
「はあ!?」
 なぜその名前が出てくるのか全く分からないという顔をしている。手頃なバットくらいの流木を見つける。
「山田もさ、辞めて欲しいって思ってるよ多分」
「だから何でいまそいつの名前が」
 佐藤を蹴り上げ人魚の額に流木を叩きつける。佐藤は何も理解できないと言った顔でこちらを見ている。流木の打ち付けた面を見てみると赤い血がべったりついている。あと何回か使えば折れるだろう。
「佐藤さんはさあ山田にいっつも対して理由もないのに突っかかってるじゃん?」
「だから何で山田が今出てくんだよやめて!そんなことしないで可哀想じゃんねえやめてねえったら!」
「山田のことなんてさあほっときゃいいじゃん臭いし、暗いし、ブスだし、一々自分から集団で話しかける必要無いよ」
「だってさあアイツ自分から突っかかってくんだよねえだから何でその子にそんなことするの酷いよ!」
「根気よく話せばお前と仲良くなってくれると思ってんじゃないのお?DV被害者と似た感じで」
 こちらの行為を止めようと抵抗してくる佐藤を流木で薙ぎ払う。鈍く柔らかい殴りごこち。佐藤は汚く湿ったゴミの中に尻もちを付き、流木は折れた。
「アイツうざいんだよだからねえやめてあげてってば!ねえ!」
「だからってえ集団で罵倒するとかねえだろうがよこのタコッ!!!!」
「ギャッ!」
 落ちていた鉄の部品で人魚の首を殴ったら、今まで目をつぶっていた人魚が目を見開いて叫んだ。今頃になって!なんという鈍さだ。頑丈だからだろうか?
 佐藤は尻もちを付いたまま、おびえ切った様子で硬直していた。
 血まみれでぐちゃぐちゃになった顔の見開かれた人魚の目は、虹彩と瞳孔が魚のように大きく、その上白濁していた。佐藤はそれと目が合ってしまったらしい。
 すかさず人魚の顔に鉄棒を叩きこむ。叫ばない。
「佐藤さんさあさっきからコレを傷つけないでだの酷い事しないでだの言ってるけど、山田に酷い事してるくせによくそんなことが言えるよな」
「え」
「私はあんたが優しさとかそういうのを全く持たない人物だと思ってて、ね」
 人魚の白濁した目に鉄棒をねじ込む。何か致命的なやってはいけない感触が鉄棒を通して伝わってくる。人魚が口をパクパクさせながらけいれんし始めた。
「や、やめて」
「こういうね、美しい生き物には優しくして山田みたいなのは迫害するの、良くないと思うんだ。差別はいけないよね。学校で習ったでしょ」
「は?違うから。あたしは山田がうざいからだよ!ウザいしキモイし暗いし臭いしあたしがやめろっても話しかけてくるし、そもそもアイツトイレ掃除さぼったし……」
 佐藤が山田の悪いところ、こちらが被害者であちらに問題があることをこれでもかというくらい詳しく説明し始めた。「加害者にも未来がある」「いじめられた方にも問題がある」というやつだが、彼女は果たしてそういうことを力説していていいのだろうか?私が人魚の下半身側を新しい流木でさくさく刺しているというのに。優先順位が変わったのだろう。お前はそういう女だ。下半身が魚だから肛門はどこにあるのか分かんないな。ここがなんか柔らかいからここかな。
「だからあたしは辛いんだよお山田がいなければあたしはいい学校生活を送れたはずなのに」
「ああうんそうもう喋んなくていいよ」
 涙ぐんで何を言っているんだお前は。自分を改める努力をせずに他人にそれを被害者ヅラしやがって私はお前のそういう所が大嫌いなんだ。中身タプタプしてきたな。ここが当たりっぽいな。
「この人魚はさあ、君にとっての山田なんだよ」
「は?」
「だからね、私はこの人魚見た時今から殺すってなったんだけど、佐藤さんが色々話してくれたおかげで、自分のコレに対する感情がね、お前が山田に対する感情と同じだって気づいたんだよね。目に入っただけでなんかわかんないけどそいつに対する怒りが湧いてくる」
 鱗の下半身を思い切り叩く。中から木を通して形容しがたい感触が伝わってくる。それを見て佐藤があっという顔をする。自己弁護を熱弁するあまり対象の救助を忘れていたのだ。
「佐藤さん、このコレを助けて欲しいんだったら山田さんにちょっかい掛けるのやめた方がいいと思うんだよ。あんたは自分で自分をコントロール出来ないし他人に対して神経質すぎる」
「いや!無理だから!あっやめて!」
 今度こそ佐藤は人魚に覆いかぶさり、私の振り下ろした流木を肩で受け止めた。痛そうだな。
「佐藤さん、私のしおりどこにやったの?」
 ふいに、今の今まで忘れていた事が口から出てきた。ああ、どうして忘れていたんだろう?
「捨てた!捨てたよあれは!だってあんたもなんかアレだし……」
 思わず人魚ではなく足元の女を蹴る。
「返せよ」
 息をのむ音がする。人魚はまだ死んでいないのか苦しそうに呼吸をしている。えら呼吸じゃないんだなあ。
「返せよ」
「あっえっ」
 佐藤は焦っているのか周囲を見渡している。私も焦るときにやる。
「返せよ」
「ごめんなさい……」
 なんだその態度は。自分より弱くて嫌いな奴には絶対に謝らないくせに勝てない相手には素直に謝るのか。
「謝るくらいなら最初からやるな。あと先に謝る人がいるだろ」
「……」
 沈黙が場を支配し、波の音と風の音だけになる。もうずいぶん時間が経っている気がする。空は変わらず曇っている。担任達はそろそろ私たちの姿が見えないことを怪訝に感じる頃だろうか。思った以上に時間がかかってしまった。ここからは急いで行動するべきかもしれない。
「こいつは地球に存在しちゃいけない生き物なんだ」
 佐藤が私を見上げる。恐怖に彩られた表情をしている。
「人魚を殺したって言ったところで誰も信じないし、多分今が江戸時代でも信じなかったと思うんだ」
 私は何を言っているんだろう?
「人魚は地球上のどの生き物にも属さない生き物でね、ようはアライグマとか金魚みたいな奴なんだ」
 ああ、これじゃきっと伝わらない。口から出てくる言葉は、自分でもコントロールできない、アンパンマンやしまじろうをいつ知ったか忘れたけれど昔から知っているのに近い。
「いるだけで害になるから。無条件で死ななきゃいけない」
佐藤は宇宙人でも観たような顔をしている。
「佐藤さん」
「はい」
「佐藤さんは山田に謝りたくないんだよね」
「うん」
「それは山田が悪いからなんだよね?」
 それを聞いた佐藤の唇が青紫色になり、わなわなと震え出した。頑固だね君は。私は手に持っていた流木を二つに折り、ナイフのように尖ったほうを両手に持ち帰る。狙うは首。頸動脈が首のどこにあるのかわからないけど、刺していけば当たる筈だ。
「今から殺す」
 途端、恐ろしいことが起った。あんなに殴った人魚が幽体離脱芸よろしくガバッと上半身を起こし、あまつさえ佐藤に抱き着いたのである。佐藤が声にならない悲鳴を上げる。    人魚の血まみれの顔が佐藤に迫る。
いけない。
「――――」
 人魚が何か発そうとしたときにはもう流木のナイフを人魚の首に突き刺していた。
 佐藤に抱き着いている人魚を引き離し、ナイフを抜いた。真っ赤な綺麗な血がパッと勢いよく出たが、綺麗だなーと見惚れている内にもうでなくなった。
 不安なので水風船みたいになってるハズの胴体部分を割いてみる。するとどうだろう。小学生の学習範囲では説明のしようがない赤く汚くなんかピンク色みたいなドロドロというか内蔵の慣れ果てみたいなのが出てきた。
 人魚の死体は海に流すことにした。これくらいやれば十分だろう。アレでまだ生きてたらおっかないがまた殺せばいいだけの話だ。
 事後処理一連の作業をしている最中、佐藤はその場に心ここに非ずといった感じで座っていた。顔に付いた血を拭おうともしなかったので佐藤の来ていた服を伸ばして拭いてやった。
 元居た浜に帰るとき、佐藤が一言だけ言った。
「目が合ったの」
 さっきまでの佐藤とは同一人物とは思えないくらい、静かになっていた。
「一人で歩けよ」
 しおり盗んで捨てたの許してないからな。
 死体は、海に流した。
 帰ってみると浜にはまだクラスメイトたちがおり、愉快に遊んでいた。殺している最中は荒削りのような殺意に支配されていたのに、クラスメイト達の姿を見た途端、世界名作劇場の世界さながらの懐かしさや安心感を覚えたので、さっきまでの出来事は夢だったんじゃないかと思えた。だが隣にいる佐藤の様子がさっきからおかしいので、あれは実際にあったことなのだ。
 担任の近くまで来たので、担任に報告しておく
「先生、なんか、あんま大した事なかった」
「そう……」
 担任は結果にも関心が内容だった。疲れは取れていないようだった。
 佐藤は佐藤のグループに任せるとしよう。私は浜の端っこで座っている山田の元へ行った。
「山田さん」
「あっ……」
 山田は困惑していた。まず話しかけられること自体に慣れていないのだろう。
「ごめんなさい」
 私は山田に土下座した。
「なにを……」
「今まで山田さんが佐藤さんたちにいじめられているのを見てみぬふりをして、本当にごめんなさい」
 なんて下手な謝罪だ。言っていて酷いと思う。伝わらないだろうこんなんじゃ。こんな大事な事を満足にできないだなんて。山田は白々しいと思うだろうか。
「……」
 山田は何も喋らない。表情も見えない。波の音と風の音とクラスメイトの遊んでいる声が聞こえてくる。
「だから、佐藤さんが明日から学校に来れないようにしまいした」
「ええっ!?」
 私は顔を上げる。山田は目と口をOの字に開いていた。結構似合ってる表情だ。
「本当だよ」
「修学旅行明日もあるよ?」
「もう来ないんだよ」
 そんな気がしたのだ。あの調子だとそうなるだろうと。
「えーとね、とにかくそうだからね。佐藤さんのグループの人たちもさ、所詮佐藤さんを中心にしてただけだろうから、佐藤さんが来なくなればつるんでても山田さんに絡んでくることは少なくなるんじゃないかな……多分」
 山田は目をぱちくりしていた。
「だからね、えっと……」
 何を言えばいいかわからない。ああどうしよう。〆の挨拶を思いつくことができない。
「うん、いいよ」
 山田が返事をした。今度は私が驚く番だった。許されるとは思っていなかったからだ。
「だからね、あのね、浜で探すの手伝って欲しいんだ……」
 浜を見渡す。ここにあるのは大量のゴミや人魚ではなく、見知ったクラスメイトと担任と扁平だが非日常的な暗いベージュ色の砂浜がある。男子たちが砂浜を掘ったところからシーグラスを掘り当ててはしゃいでいた。
 私は快く返事をした。
 しおりは、期間中は山田に見せてもらった。ありがとう山田。
 翌日佐藤は熱を出し、両親の車に迎えられて早々に帰っていったが、それきり学校に来ることはなかった。

 あれから中学に上がり、山田とはそれぞれ違う高校に通っているが、彼女との交友関係は今も続いている。
 佐藤に関しては今となってはやりすぎたような気がしないでもないが、窃盗や脅迫や暴力行為を平気でできるような人物なのだから当然の結果なのだろう。彼女の姿を中学校で見たことはないし、私の高校にも山田の高校にも通っていない。噂ではいまだに引きこもっているらしい。
 因果応報はあるにはあるんだと思う。無い寄りの有るというべきだろうか。捕え方次第で、自分の行いの報いは重くも軽くもできるのだから。現に私は人魚を殺したことを後悔していないし、佐藤なんかは目を背ければあの後も幾らでも元気に生きられたはずである。
 ちなみにあの後も何回か海に行っているが、人魚に遭遇したのはあれきりである。復讐とかされたら怖いなと考えたりするが、人魚は多分世界中にいるのだろう。そして、私の要に人魚を殺す人たちも同じくらいの数がいて、それぞれ人魚を殺しているのだろう。
自分の出来ないことは他の誰かがやってくれるのだ
なんて、今も夕食で魚を食べながら考えたりする。
「早く食べなさい。美味しいのに冷めちゃう」
 母に諭されて、私はワカサギの天ぷらを皿に盛った。


    
<続く>



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